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特集すべての道は福山に通ず。ALL ROADS LEAD TO FUKUYAMA

福山を知る3つのキーワード

これだけおさえておけば明日から福山通です。

keyword 01 バラ

福山を照らした戦後復興のシンボルに

「世界バラ会議」なるイベントがある。スタートは1971年。これまで世界各国で20回の開催を数え、その直近の大会が2025年5月に福山で開催されている。バラといえば日本では福山、福山は名実ともにバラの町なのである。始まりは第二次世界大戦まで遡る。終戦間際の空襲で福山は市街地の8割を消失した。その復興期、沈んだ市民の気持ちをなんとか和らげたいという願いをこめて、南公園(現在のばら公園)の付近に住む市民たちが1000本のバラの苗木を植えた。以降、バラ活はすさまじい勢いで市内に広がった。市内のいたるところに大小のバラ花壇が作られ、1985年には正式に市の花に制定された。1000本からスタートしたバラは現在100万本にまで増えているとされる。福山といえばバラ、そのバラは戦後復興のシンボルだったという話。

福山の文化ホール、その名も「リーデンローズ」。

keyword 02 繊維

備後絣(かすり)を起源とした基幹産業

「カイハラ」という企業は知ってますか? デニム生地を生産している会社で、国内のシェアはなんと50パーセント! 海外にもその名は知られており、北米や欧州の有名ブランドがこのカイハラ製デニムを使っている。この会社、もともとは「備後絣」という織物を生産していた。絣とは作業着(もんぺなど)や座布団に使用される生地で、不規則でぼかしの効いた幾何学模様が着物生地としても好まれた。福山は昭和30年代半ばに全国シェアの7割を生産するほどの一大産地だったが、戦後の洋装化にともなって需要は激減。しかし、それで終わらないのが福山である。長年培った技術を活かし、現在はワークウエアやデニム生地などを生産する「繊維の町」として知られているのである。

備後絣は1961年をピークに減産傾向に。写真は大正時代の備後絣による袷(あわせ)着物。ぼかしの効いた柄がなんとも味わい深い。

keyword 03 鉄

巨大な実を結んだ60年代の企業誘致

福山の3つめの顔はタグチとも一番馴染みが深い。「鉄」である。JR山陽本線大門駅からまっすぐ南へ下ったところに、かつて自衛隊の駐屯地と広島大学の水畜産学部の跡地があった。ここに当時日本を代表する鉄鋼メーカー「日本鋼管」が製鉄所を構えるのだが、この誘致にふたりの有名政治家が関わっている。ひとりは広島県竹原市出身の池田勇人(第58-60代内閣総理大臣)。もうひとりが福山市に関わりが深く、後に栄誉市民の称号を得る宮沢喜一(第78代内閣総理大臣)だった。父親が福山市出身の宮沢は、後に振り返って「歴史的な誘致に関われたことを光栄に思う」と述べている。彼らの尽力なくして福山が鉄の町の顔をもつことはなかった。そして日本鋼管は2002年に川崎製鉄と経営統合しJFEに。福山は倉敷地区とともにJFEスチール西日本製鉄所の一翼を担っている。

宮沢喜一記念館のある松永はきもの資料館。宮沢は新幹線開通の際の福山駅高架事業にも尽力。

築城400年を迎えた福山の顔

福山城

JR福山駅の目の前、駅からもっとも近いところにある城として知られる。完成は1622年。徳川家康の従兄弟にあたる水野勝成が築城した。終戦直前の1945年8月の福山空襲で天守閣は消失。現在の天守閣は1966年の市政50周年記念事業で再建された。

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