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イラストレーション/村上めぐみ
第1回(ガジラ通信 vol6掲載)
『シン・ゴジラ』
総監督・脚本/庵野秀明
主演/長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ
2016年7月公開
ライター 黒住光さん

1963年岡山県生まれ。フリーライター。
映画「まほろ駅前狂騒曲」、TVアニメ「クレヨンしんちゃん」等の脚本 にも参加。

 2016年の夏は『シン・ゴジラ』と『ポケモンGO』の夏として記憶されることになるだろう。いや、SMAP解散とリオ五輪と小池都知事と高畑親子と『君の名は。』と広島カープ優勝の夏でもあった。とにかく盛りだくさんに「時代の蠢き」を感じざるを得ない夏だったけれども、映画バカの私にとっては、やっぱり『シン・ゴジラ』につきる。

 これほど興行的ヒットと批評的絶賛を両立させた日本映画は何十年ぶりか。『シン・ゴジラ』についてはすでに多くの人が語りつくしていて、 私がつけ加えることはほとんどない。 ひとつだけ、岡本喜八へのオマージュばかり指摘されるが、ウルトラマン好きな庵野秀明のカット割りのベースは実相寺昭雄だろ、というのは言っておきたいけど。

 『シン・ゴジラ』は見る人があれこれ語りたくなる、言葉を誘発する映画だ。それは過剰な情報量の引用が詰め込まれているからで、庵野が20年前に『新世紀エヴァンゲリオン』でやったのと同じでしょ、というクールな見方もあるとは思う。しかし『シン・ゴジラ』に反応した人々の幅広さはオタク限定のエヴァとは比べ物にならない。ゴジラ映画の歴史の長さもあるが、やはり作品そのものが持つ射程距離が大きいに違いない。

 不思議なのは、多種多様な人の批評を読んでも違和感がほとんどないことだ。映画の見方は人それぞれ自由だとはいえ、「いくら何でもコイツは分かってねーな」というのが普通はある。ところが『シン・ゴジラ』の場合、上っ面で浅く見ようが、深読みしようが、上下左右どの立場から見ようが、何かしら切実な言葉が引き出されている。人々が本当に驚いたからだ。過去からの引用しかできない時代に、引用の寄せ集めに新しい命が宿った。そういう怪物がこの夏、生まれてしまったのである。