MY RIGHT HAND WITH G 『右手がGの男』
『潜入』

 ガジラは日々オレのカラダになじんでいった。最初のひと月は加減がわからず、本だろうがまな板だろうが触れるものはかたっぱしから切っていた。でも、いまは血を見ることなく握手をすることだってできる。相手がオレの右手を侮辱しなければの話だが。
「その右手、どうしたんですか?」
 Vネックの薄手の黒いシャツにジャケットを着た三十代の男が、べつだん驚いた様子もなく、書類に目を落としたままそう訊いた。あたかも、かかりつけの医師が「昨日の夜はなにを食べましたか?」とでも訊くかのように。
 細いテーブルの向こう、座っているのはタグチ工業の採用担当者。ガジラを作っているのがこの会社とわかって、オレは求人に応募してみた。この会社に入れば、きっとオレの右手の秘密がわかるはずだと。
「ふた月ほど前、朝目がさめたらこうなってたんです」
 ここぞとばかりに右腕を上げ、ガジラのハサミをガシガシ動かして見せた。ところがVネックのこの男、動揺するどころか対応は冷静そのものだった。
「よくあるんですか、そんなことが?」
 またしても書類に目を落としたまま。
「あるわけないっしょ?」
 男は書類から目を離し、オレの顔を見た。同時にカラダを伸ばして頭の後ろで両手を組み、やおら考え込んだ。
「ちょっとこのままお待ちください」
 そう言って男は席を立った。ほどなくして、青いシャツを着た癖毛の男を連れて部屋に入ってきた。その男はずかずかと歩み寄ってオレの右手をしげしげと眺めた。そしてこちらに向き直ってひと言。
「このホース、切ってもいいかな?」
 右手の前腕から伸びてガジラ本体につながっているホースのことだ。
「あなた、誰ですか?」
「失礼。わたし、設計部のS野といいます。ガジラの設計を担当しています」
「いったいなんのためにホースを?」
「動力を調べたいんだよね。まさかそこに軽油が流れてるとは思えないし」
「え、そこ? そこですか? もっと根本的なところに疑問があってしかるべきじゃ……」
「切らせてくれるの、くれないの?」
 結局、S野に押し切られ、ホースを切ることになった。といっても、ほんの数ミリ。痛みはなかった。ホースにカッターがあたったとき、ヒヤリと刃の冷たさを感じたような気がしたが。
 一週間後、タグチ工業から封書が届いた。A4のペラ一枚だけの手紙。丁寧な書き出しに続いて合否の結果が。
『今回は見送らせていただきます』
 ん…? 採用じゃなかったの? あれから面接の部屋に常務だの専務だの、お偉いさんが続々とやってきて、最後は社長まで顔を出して、「こりゃ営業でウケるぞ」とか「来年の環境展に行ってもらおう」とか盛り上がるだけ盛り上がったのに。マジか? さらに手紙の文面の下に手書きの文字があった。
『あなたのガジラは血液で作動していることが判明しました。ビックリしたなあ! 心臓にあまり負担をかけないように。S野より』
 その夜は家の前のビーチで缶ビールを1ダース空けた。瀬戸の海風とビールの酔いが少しずついらだちと不安を鎮めてくれた————というのは嘘で、頭に思いつくだけの悪態をついてやった。ビールがなくなった後もモードを切り替えることはならず、空のビール缶をガジラの先っちょで切って手裏剣を作り、奇声をあげながら松の幹に投げつけた。
 翌朝、ひどい二日酔いだった。オレは泥がつまったような頭で机の上のノートパソコンを開けた。新着メールが三通あった。ひとつは前夜に最初の悪態をついた葉子からだった。メールには素っ気なく残りの荷物の送り先が書いてあるだけだった。一通はアマゾンからのショッピングの通知メール。そしてもう一通……送信者名は<Nikita>(ニキータ)。件名は<明日の正午>。送られてきた日時は昨日の夕方だったから、明日の正午はつまり今日の正午のことか。メールのテキストはたった一行。だが、オレの二日酔いを吹き飛ばすのはこの一行で十分だった。
「大原美術館本館、セガンティーニの前で会いましょう」
 問題は行の終わり。
「左手がGの女より」
 オレの右手、ガジラが吠えた。

*『ガジラ通信』本誌に掲載したものに一部加筆・修正しています。なお、本作品はフィクションです。登場する企業「タグチ工業」は実在しますが、部署名、人物名、人物のキャラクターのだいたいは創作です。