MY RIGHT HAND WITH G 『右手がGの男』
『長船にて(2)』

 千葉真一と野際陽子が共演した『キイハンター』は、第1回と第2回を『仁義なき戦い』の深作欣二監督が演出している。この国民的人気アクションドラマがTBSでの放映4年目を迎えた1972年。放送直後の土曜日10時からの枠で必殺シリーズの原点となる時代劇『必殺仕掛人』(主人公・梅安を演じたのは緒形拳)がスタートしている。その第1回、第2回を演出したのもまた深作欣二だった。
「ドラマの初回、第2回ってのは以降のフォーマットを作るようなものだから、演出がとくに大事なのだよ。『必殺仕掛人』は、フジテレビの『木枯し紋次郎』の対抗馬として生まれたドラマなのだが、『木枯らし紋次郎』の初回と第2回は市川崑さんが撮っているのだ」
「そうなんですか」
「それにしてもだ、深作さんが粘る、粘る。『キイハンター』の初回だけで二月もかけたんだから。ドラマにそんなに時間をかける監督って−−−−−」
「千葉さん」
「うん、何だ?」
「その手のトリビアも楽しくていいんですけどね、そろそろ本題に……」
「うむ、そうだな。どこまで話したっけ?」
「田口家との関わりです。岡山に寄って家に泊めてもらったとか」
「うむ。光子さんの手料理が実に美味くてね。陽子とはその後もよく話したんだが、とくにママカリの三杯酢漬け、網で焼いて酢に漬け込んだあれが絶品で−−−−」
「千葉さん、あのね、なんのためにここでオレを待ってたんですか?」
 千葉真一は静かに湯のみ茶碗を置いて、目だけでオレを見た。そこには、いままでになかった青白い光が宿っていた。
「ちょっとイラっとしたかな?」
「いえいえ、そういうのでは……」
「まずはキミの右手にあるガジラをアップデートする」
「アップデート?」
 それから千葉真一は、役者ではない、もうひとつの顔について語り始めた。京都で殺陣の師匠から譲り受けた一本の備前刀に心底魅せられた千葉真一は、鎌倉時代から室町時代にかけて「鍛冶屋千軒」と呼ばれた備前刀の聖地・長船に拠点を作り、撮影の合間を縫って備前刀の製作を始めた。田口家のバックアップに加えて、長船の地元有志らの協力も得て、備前刀の高度な鍛刃技術を身につけた千葉真一は、長船派の長船兼光作の幻の名刃「波游ぎ兼光(なみおよぎかねみつ)」を再現できるまでの刀匠になったのだという。
「川岸の一方で切られた人が、切られたことに気づかず川に逃げ入り、川を渡りきったところでバタリと倒れたと伝えられている。あまりに鋭いその切れ味から名づけられたのがこの『波游ぎ兼光』。越後の上杉家に受け継がれたこの幻の名刀と同じ切れ味の備前刀を作ってキミのブレード部分に移植する」
 千葉真一が刀匠? それってタランティーノの『キル・ビル』で千葉真一がやった役そのままじゃないか?
「そう、タランティーノはわたしの刀工としての顔を知っている数少ない友人のひとりなのだ。ちなみにあの映画でわたしが身につけていた刀工の衣装は全部自前だ」
「そうなんですか?」
「キミ、タランティーノの『パルプ・フィクション』は観てるかな?」
「はい、もちろん! 大好きですよ、あの映画」
「ブルース・ウィリスが変態たち相手に日本刀でたち回るシーンがあるだろう?」
「質屋の地下室のシーンですよね!」
「そうだ。あそこでブルースが使っている日本刀は、タランティーノにプレゼントしたわたしの作品なのだ」
「ええっ、そうだったんですか!」
 そこで千葉真一は唐突に「エンガワの皿をとってくれ」と言った。
「ええっと……これですかね」
「違う! それはヒラメ。シンプルな青い皿に載ってる白っぽいのがエンガワだ」
 オレは言われた通り、青い皿を手にとって千葉真一に渡した。
「さあ、これをキミのガジラで半分に切ってみなさい」
 千葉真一はそう言って、オレの前にエンガワの皿を差し出した。オレは席を立ち、半歩後ろに下がってから意識を集中させ、皿の上の寿司にカッターの刃をすっと入れた。まっぷたつとはいかなかった。ネタは押しつぶされたような断面を晒し、その下でシャリが醜く潰れていた。
「これを食べてごらんなさい」
 オレは左手でテーブルの上にあったプッシュ式の醤油を手に取り、ネタの上に数滴垂らしてから口に放り込んだ。
「どうだ? 美味いか?」
「うーん、なんか味がぼんやりしてるように思いまふねえ」
「では今度はこれを食べてみなさい」
 千葉真一の右手にはいつの間にか出刃包丁があり、鮮やかに煌めいたと思うと、皿の上にあったもう一個のエンガワがまっぷたつになっていた。
「美味い! これ美味いふす!」
「そう、それがキミのガジラの唯一の欠点なのだ。鉄骨や鉄筋は切れる。H鋼だって切れる。でも、刺し身がうまく切れない。いまの構造では細胞を潰してしまうのだ。この欠点を補わないかぎり、クラッシャーたちとは到底太刀打ちできるものではない! ハアアアアッ!」
 その言葉には理があるかどうかさえあやしいのだが、相手はあの千葉真一である。
 まあそんなわけで、オレはその日からこの回転寿司店に住み込みで働いている。長船に来てちょうど一週間。いまだ刀匠、動かず……。

*『ガジラ通信』本誌に掲載したものに一部加筆・修正しています。なお、本作品はフィクションです。登場する企業「タグチ工業」は実在しますが、部署名、人物名、人物のキャラクターのだいたいは創作です。