MY RIGHT HAND WITH G 『右手がGの男』
『鋼鉄のハサミ』

 ある朝、ちょっとだけセクシーな夢からふと覚めてみると、オレの右手が真っ黒な鉄の塊になっているのに気がついた。部屋は薄暗く、細部がどうなっているのかはわからない。寝ぼけた頭ではあるし、もとよりその塊の見た目があまりに衝撃的で、じっくり見ようという気もしなかった。オレは部屋の窓に目をやった。夜明けまでにはもうすこし時間があるようだ。カーテンがぼんやりと青い光をまとっていた。隣を見ると、彼女がかすかに口を開けて寝息をたてている。ベッドからだらりと落ちた右手に目を戻す。手首の先、まだそれはあった。右の肩にずしりと感じる重みがなんともリアルだった。オレはなにも見なかったことにしてまた眠ることにした。数秒で深い眠りに落ちた。心のどこかでさっきの夢のつづきを期待しながら。
 電車のなかにいた。といってもオレが使っているJR瀬戸大橋線ではなく、山陽本線でもない。乗客の様子から判断して、ヨーロッパか北米あたりの電車らしい。車内は明るく、どうやら海沿いを走っているようだった。電車がブレーキの音を響かせ、駅の構内に到着しようとしていた。座席から立ち上がった背の高い黒人が、無言でオレの膝の上にミッフィーのぬいぐるみを置いて去っていった。電車が止まり、コンプレッサーの音が響いて左右にドアが開く。そこから一気だった。ドアを蹴破らんばかりに大量の水が流れ込んだ。膝が浸かり、腰が浸かり、あっという間に水は車内の天井近くにまで達した。オレは息をとめて天井と水面の間のわずかな隙間をめざして浮上しようとした。ところが、膝の上のぬいぐるみがありえない重さで、カラダは碇を下ろしたかのようにいうことをきかない。オレは水中で宙をかくようにしてもがきながらぬいぐるみに目をやった。ミッフィーの黒い瞳がオレを射る。そこに悪魔が宿っているのをオレは見た。
 目が覚めた。腹から下腹部にかけてあの黒い鉄の塊が載っていた。オレは飛び起きてベッドの下のフローリングに転がった。肺が肋骨を突き破らんばかりに大きく膨らんで空気を求めていた。胸の隆起にあわせ、肩が大きく上下する。頭が正常に思考するまでしばらくかかったように思う。ふと気がつくと、カーテン越しの光は昼のそれに変わっていた。部屋の空気は澱んで、ベッドに彼女の姿はない。仕事の面接に行ったのだろう、隣のリビングにも気配らしいものがなかった。オレは夢の断片を頭に思い浮かべながら、奇妙だと思う。電車に乗っている夢は、ここ何日かで3回目。しかも同じ電車だ。最初の夢は隣に座っている中国人の中年女性から「チャイナタウン、どこ?」と強い調子でしつこく何度も訊かれる夢。2回目は、ベースボールキャップを目深にかぶったエミネムと、黒人の取り巻きらしきふたりからカツアゲされる夢だった。同じシチュエーションの夢をたてつづけに見るのも不思議だが、それ以上にどこか釈然としない、奇妙な感覚にとらわれる。というのも、オレはヨーロッパにもアメリカにも一度も行ったことがないのだ。
 床に仰向けになったまま、おもむろに右手を見た。天井に目を戻す。眠気はない。すっきり晴れわたっているとは言い難いが、頭は普通に冴えている。右手に目を戻した。それはそこにあった。黒さが若干やわらいで見えた。黒い塊だと思っていたものは、もっと人工的な、洗練されたカタチをしていた。2枚の薄い鉄板部分は銀色に鈍く光って、黒々としているのはそれを支えている台座だった。それぞれの板の一方はボルトで固定され、もう一方が白っぽいシリンダー状のものを介して台座につながっている……ハサミだ。基本的な構造は限りなくハサミに近い。サイズはというと、刃先から台座の尻の部分までが50〜60センチほど。これじゃバルタン星人だ。そしてここが一番グロいところなのだが、どう見てもゴム製の2本のホースがオレの前腕とこのハサミを連結しているのだった。拳を握る感覚で右手を動かしてみた。ホースのなかでグシュッという音がして2枚の鉄の板が閉じた。今度は拳を開くようにすると、同じ音がして2枚が開く。閉じる、開く、閉じる、開く、閉じる、開く。何気なく、ベッドのそばにあったスタンドライトの支柱を挟んでみた。拳を閉じる感覚で軽く、ぐいっ。ステンレスの支柱が見事に切断された。電灯の頭がフローリングの床に落ちて、電球が砕け散った。オレはあらためて右手をまじまじと見た……なんだ、これは?
 オレはもう一度ベッドに横になった。少女のように叫びたい気持ちもあったが、オレは少女じゃない。三十代も後半にさしかかって、世間的には十分いい年のおっさんだ。オレならうまくコトに対処できる、そう言い聞かせた。まず状況を正確に把握し、相応の作戦をたてるのだ。時間はある。なにせいまのオレは定職なしのニートの身分。やらなきゃいけないことといえば、家の夕飯を作って就活中の彼女の帰りを待つこと、それだけだ。そうだ、今晩は彼女になにを作ろう? そろそろキスが出回っているだろうから、てんぷらでも揚げるか。庭に即席のかまどを作って、炭を炊いて秋刀魚を焼くというのもありか。秋の入り、この時期は食材を考えるだけで楽しい。でも、ちょっと待ってくれ。この手でどうやって秋刀魚を買いに行く? そもそもどうやって顔を洗う? どうやって服に袖を通す?
 オレは飛び起きて、ベッドの横にあったスマホを手にとり、暗号のような欧文を検索にかけた。複雑なつづりだった。しかし、英語がまったくできないオレが、一度も間違えることなくそのワードを打ち込んだ。 (G・U・Z・Z・I・L・L・A)
 最初の手がかりがそこにあるはずだった。ハサミの台座にあったロゴタイプの文字、ガジラ……。

*『ガジラ通信』本誌に掲載したものに一部加筆・修正しています。なお、本作品はフィクションです。登場する企業「タグチ工業」は実在しますが、部署名、人物名、人物のキャラクターのだいたいは創作です。